千葉県匝瑳市(そうさ・し)長丘の東総広域農道で、同県旭市の県立高校3年の少年(18)の乗用車が、前の車を追い抜かそうと対向車線にはみ出したところ、そのまま道路反対側の電柱に衝突した。2012年2月29日


2012年2月29日午後11時40分ごろ、千葉県匝瑳市(そうさ・し)長丘の東総広域農道で、同県旭市の県立高校3年の少年(18)の乗用車が、前の車を追い抜かそうと対向車線にはみ出したところ、そのまま道路反対側の電柱に衝突した。
乗っていた4人のうち少年ら男女3人が全身を強く打つなどして死亡、男性1人が腰の骨を折る重傷を負った。

 匝瑳署は少年が無理な運転をしてハンドル操作を誤ったとみて、自動車運転過失致死傷の疑いで原因などを調べている。

 同署によると、死亡者は少年のほか、助手席にいた弟で小学1年の服部春樹君(6)、後部座席に乗っていた銚子市親田町、アルバイト、小林紗也さん(18)。
重傷を負ったのは旭市新町、会社員、菅谷雄馬さん(27)。

 匝瑳署によると、現場は見通しのよい片側1車線の直線道路。
追い抜こうとした車には少年の兄が乗っていたという。
少年らは成田市内の量販店で買い物後、帰宅する途中だった。

「追い越そう」とした車に少年の兄が乗っていたとは、どういう状況だったのか?
運転していたのか?ただ、同乗していただけなのか?

抜かせてやれば良かったのに・・・。
千葉県は、関東地方でも交通事故死が多い地域だから。
カーチェイスでもしていたのかもしれないが・・・。

60キロで走行している前車を追い越すには、+20キロ程度の速度が必要だ。
理論的には、61キロの速度でも追い抜けるが、それでは、長大な距離を走行しなければならない。
片側一車線の道路で追い越すということは、反対車線を走行することになるので、対向車が来たら衝突することとなる。
よって、追い越すには+20キロ程度の速度が妥当な速度だと言われているが。
そもそも時速80キロだと、日本の一般道路だと、全て速度超過となる。

【アイルトン・セナ】
音速の貴公子、アイルトン・セナ

今なお多くのファンや関係者から史上最高と称えられている偉大なレーシング・ドライバー。幼少期からゴーカートに親しみ腕を磨いた後、ヨーロッパに渡り本格的自動車レースへ。 1984年からは自動車レースの最高峰、F1世界選手権にトールマンからデビュー。雨のモナコGPなど早くも才能の片鱗を見せ付け、翌85年には上位チームのロータスへ移籍。しばしば光る走りを見せ、次代のチャンピオン候補としての地位を確立する。
この頃からすでに、1周の速さを競う予選ではポールポジション(予選1位・PP)を量産しており、多少のマシン的ハンディキャップをものともせず、見事なまでのマシンコントロールと集中力で、「速さ」ならセナにかなうものはいないことを知らしめた。以後、通算PP数は65回(史上1位)を数え、予選での限界ギリギリの走りはセナの魅力の一つになっている。

88年にはトップチームのマクラーレンに移籍。その年早くもチームメイトで2度のチャンピオンであるアラン・プロストを破り、初のワールドチャンピオン。その後も90、91年と王座を獲得し、名実ともにF1界の頂点に登りつめた。 92、93年はライバルチームのウイリアムズの大躍進の前に苦戦を強いられるが、そんな不利な状況の中で次々と伝説的なレースを展開し、セナの評価は一層高まった。

94年、さらなる飛躍を求めてウイリアムズに移籍。しかし神経質なマシンに苦悩する。そんな中、第3戦サンマリノGPで1位走行中にマシンが操縦不能に陥りコンクリート壁に激突し事故死。伝説になる。

常に努力を忘れず全力・限界ギリギリでレースに取り組む姿勢は人々を感動させた。日本人的にはそんな生真面目な性格と、ホンダとの友情などから、共感を覚えたファンも多い。精密機械のような精確さと、情に厚い人間臭さを併せ持ち、それは芸術的なドライビングとして如実に現れ、多くのファンを魅了した。

F1通算成績
出走161回、優勝41回、PP65回、FL19回、総獲得ポイント614、
1988・90・91年ワールドチャンピオン


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posted by データ&バックアップ at 14:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | ハードクラッシュ!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする